オタク娘ヒガハラによる『幻想楽団 Sound Horizon』の話題がメインなブログ。 他、谷山浩子さんや漫画の話なども少々。
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お久しぶりでございます。
世間は7th Storyの小出し情報でにぎわっている中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
めっきり情報ブログとしては役に立たなくなったこのブログの中の人ですが
どんなに慌しくともがっつりコンサートチケットはとりました。
もちろんじゃないですか。
初日マニアですので、仕事定時で終わらせて横浜までダッシュする気まんまんです。


と、前置きはここまで。

Lostに関して、友人の仙里さんとちょこちょこ話してたのですが
SoundHorizonは、音楽のロールシャッハという気がしてきます。
ロールシャッハ(正しくはロールシャッハテスト)とは、心理テストの一つで
ある模様を見てそれが何の形であるかを推察するテストです。
有名なテストなので、ご存知の方は多いと思います。

で、そのロールシャッハテストはの模様は曖昧(というか非具体的)な模様なので
人によっては、蝶に見えたり、向き合わせた顔に見えたりと様々なのですが
SoundHorizonの楽曲は、まさにそれに似ているなと思います。

そのときは、ちょうどLostの少年と少女について話していたのですが、
ことに、この“永遠の少年”とはなにか、“水底の少女”とは何か、という話題はそれに似ていると思いました。
私は、少年を自己否定、少女を自己肯定と仮定しました。
それを汲んで仙里さんは、「少年は死んじゃえばいいって言って、少女は生きてっていう感じだものね(意訳)」と言いました。
それを聞いて、私は、ん?とちょっと悩みます。
私にとって少女は、「生きて」という存在ではないから。

少女の「流れていきなさい」は、「生きていて」というよりは、
Moiraの「神の光」にある、「それでもお往きなさい」に近いと私は考えています。
それでも、イコールではなく、ニアリーイコールなのですが。

また、少年と少女の存在を捉えるときに、自発的な意思ないしは自我に近い部分と捉えるか、無意識もしくは超自我的であると捉えるかによっても変わってくるでしょう。

私の中にある“永遠の少年”は、エゴをふるい落とした上澄み(例えばそれは偽善的行為であったり、言い訳だったり、偽悪であったり)を指して自己を否定する心の中層、むしろ水底を照らそうとせずにあざ笑う、半意識的な存在であるような気がします。

そして“水底の少女”のいる水底は、忘レモノ(例えば、動機であったり、思いであったり)が沈んでいる場所だと思っています。
Lostの中に出てくる人々は、動機を、最初の思いを、目的を忘れてしまっている存在がほとんどです。
そういった忘レモノがハラハラと落ちてくる場所から、少女は言う。
「忘レモノはありませんか?」と。「流れていきなさい」と。
詩中に出てくる「澱む」とは、流れが止まるほかに、どんよりと濁るという意味も持ち合わせています。
忘レモノが沈んでくる場所は、上澄みの流れが澱んで(止まって)しまえば、そこも澱んで(濁って)しまい、本当の暗闇となってしまいます。
しかし、流れ続ければ、川の水が砂を運び、落とし、そしてまた運んでいくように、自分の忘レモノもいつしか流れの中に浮かんでくるかもしれません。
忘レモノが沈む場所は、けして、ただの暗闇だけではないと知っているから。
だから少女は「忘レモノ」が沈んでいる水底から上澄みを見上げ、「流れていきなさい」と告げる。「忘レモノはありませんか?」と問いかけながら。
例えそれが無慈悲でも。
私の中の水底の少女は、そういった無意識下にに住む、超自我的な存在であると思っています。


人によって、「少年と少女」の存在の在り様は違うでしょう。
書いてみて、自分にとっての在り様が少しまとまったような気がします。




あ、ちなみに余韻台無しなこというと、
永遠の少年って、要は中二病の塊ってことだよね。
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【2010/10/07 11:15】 | SH雑記
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