オタク娘ヒガハラによる『幻想楽団 Sound Horizon』の話題がメインなブログ。 他、谷山浩子さんや漫画の話なども少々。
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私はエリーゼが大好きです。
(人形好きというのもちょっとありますが。)
しかし、基本的に高飛車な女の子が好きというわけではない。
けれど、エリーゼは本当に愛しい。
なぜかといえば、彼女は本当に一途なんですよね。

閑話休題。


さて。暁光の唄の最初に「さよなら ずっと 君と 同じ時間を 生きたかった」という歌詞が有りますよね。
私は最初、メルツのエリーザベトに対する言葉かと思いましたが
PIXIVでメルヒェン→エリーゼとしている解釈を見まして、おぉ!となりました。

エリーゼ=テレーゼ説もありますが
わたしは、エリーゼは、エリーザベトの「メルとずっと一緒にいたい」という思+テレーゼの「子を思うが故の復讐心」=2人の愛憎 が合わさって、一人の「エリーゼ」という少女の人格になっていると思っています。

また、メルヒェン=フォン=フリードホフも、メルツそのものではなく
メルツを核に、あの井戸の中のもやもやが融合した姿=メルツそのものではない、と思っています。
なので、メルツ=メルヒェンではけしてないと。(二アリーイコールくらいな感じで)

なので、エリーゼとメルヒェンが思いあう心は、核となっているのはエリーザベトとメルツであっても
やっぱり、エリーゼとメルヒェンの物だと思っています。
エリーゼの「ずーっと一緒にいようね」は、紛れもないエリーゼの心。

けれども、エリーザベトとメルツが思い合っていたことも真実。
だから、冒頭の歌詞は、両方にかけてあるのだろうな…と。

「さよなら ずっと 君と 同じ時間を 生きたかった」
→ずっと一緒にいたいというエリーザベトとメルツの思い
→それを受けて存在した、エリーゼとメルヒェンという別の人格

「然れど 摂理は けして僕たちを 許さないだろう」
→エリーザベトに別れを告げることもなく世を去ってしまったメルツ
→摂理に背を向けて存在したメルヒェンも、復讐劇は幕を閉じ存在が消える



個人的には、ライブの暁光の最後、メルヒェンはエリーザベトを抱きしめ返さない方の解釈を選択しています。
理由は、上に挙げた「メルヒェンはメルツそのものではないから」

けれども、「メルヒェンの核がメルツである」こともまた事実。
「メルツのエリーザベトが復讐を否定した」ことによって「復讐劇は終わる」

また、エリーゼはやっぱり、「メルツがエリーザベトを迎えに行くための重要なファクター」であったことも、関係してくると思います。
メルヒェンの核がメルツであったように、エリーゼの核もエリーザベトであり、またその入れ物は「かつてエリーザベトがメルに「私の代わりに連れて行って」「絶対に迎えに来てね」と言って渡した人形」でした。
つまりは、「メルツがエリーザベトを迎えに行く約束の形」であり、「エリーザベトの代わり」でもあったのです。
しかし、「エリーザベトの代わりの人形」は、テレーゼの復讐心を加えて「エリーゼ」という意思を持つ。
それが「私だけがあなたのエリーゼなのよ!」という台詞に繋がるのでしょう。

しかし、エリーザベトが復讐を否定したことによって、メルヒェンの中の復讐心も薄れ、エリーゼをエリーゼたらしめていた復讐という呪いが消える。
さらには、「メルツがエリーザベトを迎えに行く約束の形」としての役割も、これまでメルツをメルヒェンとして存在させ、そして導き合わせたことによって、その役目を終えます。
そして、「イヤ!」とエリーゼの心はそれを否定しながらも、最後はただの人形に戻ってしまったのかな、と。

その切なさが、私がエリーゼが大好きな理由です。

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【2011/01/09 09:14】 | SH雑記
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